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不安障害・不安症は多いのか

  • 斎藤知之
  • 4月17日
  • 読了時間: 4分

不安障害・不安症

不安障害(不安症とも言います)はとても多い精神疾患です。


不安はとても身近な感情であり、誰しもが不安をかかえて生きています。こうした不安があまりに強まり、生活に不便を生じると、不安障害(不安症)と診断されることがあります。


あるアメリカの統計になりますが、すべての不安障害(不安症)をまとめて計算すると、一生のうちに何らかの不安障害(不安症)になる確率(生涯有病率)は34%とされています。



この統計によれば3人に1人は不安障害(不安症)になるわけですから、とても多いことがお分かりいただけると思います。


不安障害(不安症)は、不安が強まる精神疾患をまとめたカテゴリーです。この中には、様々なものが含まれています。代表的なものを、以下に解説していきます。


社交不安障害(社交不安症)

特に若い人に多いのは、大勢の前に立つと不安・緊張が強まり、こうした場面を避けてしまうもので、これを社会不安障害(社交不安症)と呼びます。俗に対人恐怖症と呼ばれることもあります。社会不安障害(社交不安症)では、動悸がしたり、めまいがしたり、息苦しくなったりなど体に自律神経症状が出ることも多いです。アメリカの統計では、社会不安障害(社交不安症)になる確率は13%とされており、不安障害(不安症)の中では最も多いです。


プレゼン前にすごく緊張してしまうとか、大勢から見られるとダメみたいなことは誰にでもあることだと思います。こうしたものがあまりにも強く、社会で生きていく上で困難が多い場合に、社会不安障害(社交不安症)と診断されます。軽度から重度まで様々ですが、重症度は生活の支障の程度により判断されます。社会不安障害(社交不安症)は10代から20代で診断されることが多い精神疾患ですが、中年以降で診断されることもあります。


パニック障害(パニック症)

パニック障害(パニック症)も有名な精神疾患だと思います。アメリカの統計では、生涯のうちにパニック障害(パニック症)になる確率は5.2%とされていますので、20人に1人は経験する病気です。パニック障害は急な自律神経症状が特徴的な精神疾患で、動悸、呼吸困難感、冷汗、手足のしびれ、腹痛などとともに、強い不安・恐怖に襲われるパニック発作を繰り返すものです。社会不安障害(社交不安症)など他の不安障害(不安症)にともなってパニック症状が出る場合もあります。パニック障害(パニック症)は、場所に関係して症状が出ることが多く、たとえば、閉鎖的な場所、混雑した場所、電車など乗り物の中などでパニック発作を起こし、こうした場所を避けるようになります。これを別に広場恐怖と呼びます(広場と言うので誤解しやすいのですが実際は閉鎖的な場所に対する恐怖です)。パニック障害はこの広場恐怖を伴い、特定の場所を避けてしまうことで生活が不便になる場合が多いです。特定の場所を避けていると症状が出ないため、一見して治ったように誤解される方もいますが、場所を避けることもまた不安症状の一つであると思ってください。今まで避けていた場所を避けなくなり、その場所を克服したら、本当の意味で治ったと言えます。


全般性不安障害(全般性不安症)

全般性不安障害(全般性不安症)という不安障害(不安症)もあります。これは絶えず不安や緊張が続き、体のあちこちに軽い自律神経症状が続くような精神疾患で、すべて悪く考えてしまい、不安が取れないものです。過剰な心配性と考えると分かりやすいかもしれません。症状としてはうつ病に近いです。一生のうちに全般性不安障害(全般性不安症)になる確率は、アメリカの統計では6.2%とされていますので、パニック障害(パニック症)と同じくらい多い精神疾患になります。


こうした統計から、不安障害(不安症)はとても多く、誰でもなる可能性のある精神疾患だということがご理解いただけるかと思います。


よく不安障害(不安症)の方から、「私の不安はおかしいのか?」と聞かれることがあります。しかし、不安障害(不安症)の方の不安の内容とは、決しておかしなものでも珍しいものでもありません。不安の内容そのものは合理的ですし、多くの方がかかえる不安と大差ありません。あくまで誰しもが感じる不安の延長線上に不安障害(不安症)があります。つまり、正常と異常の明確な境目が無いのです。そのため、どこからが病気で、どこからが普通なのかと区別することも難しくなります。ただ、そのような区別はあまり意味のないことで、大事なことは不安の強さです。あまりに不安が強まると困るので、不安が強くなりすぎないように適切な範囲に不安の強さをコントロールすることが、考えるべきことです。自分が正常なのか異常なのかと考えること自体が精神的に良くないので、そうではなく、これから自分の気持ちを安定させるためにはどうすべきかというように考える方が建設的です。

 
 
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